脇差  「粟田口近江守忠綱」(二代 一竿子)
長 さ  53.1cm (1尺7寸5分2厘) 元  幅  30.0mm
反  り  0.9cm(約3分) 元  重  7.0mm
 目釘孔  1箇 先  幅    21.5mm
 時 代  江戸前期 元禄前後(1,690年) 先  重    0.515mm
外 装  拵付 白鞘入り
鑑  定  特別保存刀剣鑑定書
国   摂津国 作  位  新刀上々作 良業物(重要文化財も有り)
登録地  静岡県 価  格  送料・税込 ¥1,2500,000
鎌倉時代の京都東山で栄えた刀工一派である粟田口の末裔を名乗り銘に粟田口を冠した。氏は浅井。初・二代とも近江守を受領し「粟田口近江守忠綱」と同銘を切る作が多い。二代忠綱は初代の実子で、通称は万太夫と云う。後年、号である一竿子を名乗る。津田越前守助広・井上真改と並び大阪新刀の三傑と称えられている。

父子とも同銘を切るが、時代と共にそれぞれに特徴がある事から、初代・二代の区別が付けられている。
作風の特徴は、小板目が良く詰んだ鍛え地に大阪焼きだしに焼き幅は高く足長丁子刃を焼き、匂い深く華やかな刃紋となる。新刀期の刀身彫りは少なく、一竿子は極めて名人である。彫りの有る作には「彫同作」「彫物同作」と添銘を切る。

この脇差は二代忠綱の若い時代の作である。初代と二代では同銘であるが鏨の切り方に特徴が有るが、後期になる程分かり易くなる。初期の頃の作には後年程の大きな特徴がなされてないが、それでも二代の特徴が出ている(鑑定書発行元の日本美術刀剣保存協会に於いて確認済みです)。

この脇差の鍛え地は小板目に小木目が混じり精緻で冴えている。地沸えが着く。刃紋は焼き幅高く匂い出来の足長丁子に互の目乱れを焼く。処により逆丁字を交える。切っ先は形良く、鋩子は小丸に返る。フクラは程良い形に仕上げている。ハバキは金着せの祐乗。身幅、重ねとも尋常に保たれている。

拵は江戸後期の作と推定される。装着されている武者図の揃い金具は非常に精緻で色金を使い巧みな彫刻がなされ、一級品の作である。小柄・笄もお揃いである。



余話

彦根城博物館には、13代彦根藩主の大老・井伊直弼の指料となった「一竿子忠綱」の刀が保存されている。

 また、天明4年(1784年)3月24日に江戸城中で老中・田沼意次(おきつぐ)の子で若年寄・田沼意知(おきとも)を佐野善左衛門政言(まさこと)が二代忠綱の脇差で斬りつける事件が起きた。深手を負った意知は4月2日に死去した。佐野善左衛門政言は翌日切腹の裁きを受け自害した。刃傷の原因は家系図にまつわる因縁らしい。

 佐野氏は下野の国、現在の栃木県佐野市に平安時代から栄えた一族で、承平天慶の乱で平将門を打ち破った藤原秀郷の配下である藤流足利氏の庶流(家来)との事である。佐野氏の祖・基綱の働きにより鎌倉幕府の御家人となった。佐野氏は江戸幕府では500石取りの旗本で代々江戸城の警護を務めた。
 老中・田沼意次・意知親子は、江戸庶民から賄賂老中との噂が膨らんで、非難されていたので、田沼親子の失脚に繋がったこの事件の首謀者・佐野善左衛門政言を「世直し大明神」と称えた。



















































































 




頭の拡大







  






大東美術
下記から直接お申し込み下さい
お急ぎの方はお電話で

メールが上手く送信出来ない場合、下記をコピペして
ご利用ください

touken-daitou を@の前に
mx10.ttcn.ne.jp を@の後ろにコピペしてつないで
送信してください

メール