高幡不動尊・新撰組関連

 

 

 
紫陽花に五重塔



近藤勇の生家跡と墓所

 
調布市の人見街道にある生家跡  昭和18年まで建物が現存していたとありました

 
龍源寺門前には、近藤勇を偲び讃えて数々の慰霊碑が建ち並ぶ
生家跡の近くには「撥雲館(きうんかん)」道場も有る

 板橋の刑場で斬首になった後、一族の人達が遺体(胴体など)を大八車に載せて墓所に葬ったと云う。首は晒されたので受け取る事が出来なかった。
 近藤勇は、流山で自首して囚われの身となり板橋に送られた。囚われと云っても縄で縛られたり牢屋に入れられている訳では無く、座敷の一間を与えられて自由であった。見張り、兼、食事などの世話役をしていた官軍の侍達とは将棋を指したり世相の話をしたりしていた。当然、一部始終は上部の指揮官に報告されていたが、「近藤という者、新撰組を束ねるだけあってなかなかの人物」と官軍の上部には評判が高く、次第に死罪などにはせず新政府の仕事をさせたら良かろう、と云う空気が出来上がりつつ有った。が、後から進軍して来た総大将の谷干城(たに たてき ”かんじょう”とも呼ぶ)が板橋に着くと、そうした進言に激怒し、即座に打ち首・獄門を命じた。土佐の谷干城は、坂本龍馬の暗殺犯は新撰組と決めつけていたと云う。


 
近藤家の墓 勇の墓前にはいつも献花がされている

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土方歳三の墓所と記念館

 
左は石田寺(せきでんじ)の茅(かや)の巨木(日野市天然記念物) 土方歳三の慰霊碑
こちらも大勢のファンが詰めかける。特に若い女性が多い。(他の家の墓所に立ち入らな
いようにと、注意書きがありました。)

(神社・仏閣を訪れた際は、家内安泰・無病息災・交通安全を
祈願して、お賽銭を。)

 千葉県の流山に集結した新撰組は、早朝から軍事訓練などを行っていた。京都で近藤勇が高台寺党の残党に銃撃されてキズ療養中の為、指揮は副長の土方歳三が取っていた。土方は時間があると、近くの川によく魚釣りに出掛けていたと云う。
 村の娘達は、魚釣りをしている土方をわざわざ見に出掛けて行って、「いい男ぶり」と語り合っていたと云う逸話が残っている。

  
              左 土方歳三記念館入り口     右は記念館に有る歳三の手植えの矢竹    


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