新島の流人史跡と佐渡島の金山
牢屋の跡。島へ遠島になっても流人は牢屋に入る事は無く、自給自足で生活をする事になった。だが、再犯をしてしまうと極刑にされた。その為の処刑されるまでの一時期この牢に入れられた。刑場は直ぐ近くにある。刑死した流人の墓は、寿命を全うしたり病死した流人達とは別な場所に造られている。
流人牢の説明。アロエがすっかり蔓延ってちょっと見にくくなっている。
こちらは島民の共同墓地の奥にひっそりと、一段低くされた不浄の場所に葬られた流人の墓。御赦免前に病死をしたり、再犯をせずまじめに寿命を終えた流人達が葬られた。正面に見える階段を上がると島民の墓が有る。そちらはかなり広い。
墓が綺麗なのは、島民が持ち番となり毎日清掃をおこなっているから。この日も数人の方が、共同して水で墓石を洗ったり花(造花が多い)の手入れ、掃除や清めを行っていた。流人達の墓にも島民の手によって花が添えられ、故人の慰めとなっている。
島民の方達のお墓は大きくて立派だが、一方で流人の墓石はひっそだ。
博打打ちや酒好きの流人は、墓石にサイコロ、杯、徳利(とっくり)などを掘られた物も有るらしいが、店主には判別出来なかった。
金鉱石を採掘をする工夫。実物大の迫真のロボット人形が電動で動いて、当時の様子を伝えている。作業も大変だが収入も良かったので、働く希望者が多かったとの事。無宿人には、おそらく一番キツイ作業をさせていた事だろう。
上から見下ろした所。真下に、かなり深く掘り進んで、足場が悪い所で作業をしている。坑道は全長で400kmにもなると云う。
金の純度を上げ金粒を作り出す小判所のジオラマ。純度は99.5%にもなったと説明にある。計量を行い記録されると、次は延べ板に叩き伸ばされ、最後に色見本と比較される。見本と遜色無ければ刻印を打たれ江戸へと送られた。
凄い数の精巧に造られた人形が、様々な格好で仕事をしている。見ていて飽きない。良く出来ていて驚く。
料理屋で芸者を呼んで酒盛りをする人々。


大東美術